6月11日(土)04:30から新潟と福島県只見町を結ぶ峠「八十里越・天保古道」の
 調査を実施し、その続編として翌日「木賊温泉露天風呂」入浴体験や南会津の峠回りをし
 たことなど紹介します。
  6月11日、八十里越・古道調査は、福島市から参加した4名が真夜中の2時に只見に向け
 出発、地元只見町の長谷部さん、鈴木さんと待ち合わせ行動開始。午後4時過ぎ行動を終
 えるころ驟雨に見舞われた。尋さんは踏査中七転八倒しつつ息も絶え絶えになりながらも
 その夜の「民宿・山響(やまびこ)」でのビールに恋焦がれて頑張れたと言ってました。
  民宿での料理は、さなえ奥様の真心こもったひとしな一品で、特に「鯉のうま煮」は絶
 品、それでも午後9時には全員就寝となった次第。
  翌12日は、会津中街道(大峠)を蘇らせる活動に取り組まれている下郷町の佐藤淳一さ
 んとアポなしでお会いする予定のほかはフリーだったため、南会津地方の峠道を訪ねた。
  最初は桧枝岐村観光課へ。奥只見湖にある「白石沢スラブ」の調査。次に訪れたのが「木賊温泉」。ここは日本全国数ある温泉(露天風呂)の中でも岩盤から直に浴槽に湧き出
 す温泉として有名らしい。その後訪れた会津西街道・中山峠、大内宿の「高倉神社」、英
 国女性探検家イザベラバードが「日本奥地紀行」で世界に紹介した「市野峠」を経て帰
 宅。その画像を紹介します。      福島支部 渡部展雄記

6/12(日)朝、前夜宿泊した只見町「民宿山響(やまびこ)」前で記念撮影
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民宿ご主人鈴木章一(JAC会員)さんご夫妻と福島から参加した4名の記念撮影
左が七転八倒の渡邊尋さん、右が幕田さん
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木賊温泉入浴料金は200円、このポストに投入 流れているのは暴れ川の木賊川
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露天風呂の温度は43度前後 栃木からの客と一緒になる
渡部は、ひと月前に温泉談義をした千葉県出身の方(移住者男性)とばったり出会う
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ちょっと恥ずかしいですが、みんな大満足の様子
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下郷町で現在の国道121号線から左折し、倉水・戸赤方面に入る
この道が旧「会津西街道」で中山峠を経て大内宿へ通じる

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この街道は、太閤秀吉が奥州仕置きで通った道でもある。この看板には
「天正18年(1,590年)8月9日奥州鎮撫を終えた秀吉がここを通って帰京した」
との記載もあり、看板のわきにはこんこんと清水が湧き出ている。

中山宿の二宮家前の大ケヤキ
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樹齢950年、背の丈回りが12m、樹高38mの巨木
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八幡太郎義家がこの地に住む忠義の二宮氏を称えて植えたと書いてある
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大内宿の「高倉神社」参拝後参道を下る。
後白河上皇の次男高倉の宮持仁親王を祀ったのが高倉神社
社殿のぐしには、菊の御紋2個(銀色)が見られる
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大内宿氷玉峠から左に入ると「市野峠」
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市野峠は、戊辰戦争間もない明治11年、英国人女性探検家
イザベラバードが通訳兼案内人の伊藤少年と日光から蝦夷地
まで旅した峠。「日本奥地紀行」には当時の日本人の貧しくも
清楚な生活の営み(高潔な民度)が詳しく描かれている。
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峠は全線アスファルト舗装されているが、古道も整備されている。
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イザベラを乗せた馬の足音が聞こえるような山道
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市野集落手前の「地蔵清水」 こんこんと湧き出ていた
佐久間氏曰く「イザベラも飲んだんだべなー」
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市野集落が見えてきた
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峠を下り切るとそこは市野集落。ここに馬をつないで休ませ、飼葉(馬の食事)を与えた場所
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以上、楽しいドライブでした。